雨月民話風呂
メールマガジン民話万象でご紹介いたしました民話の再編集や、時節に応じました民話の紹介を行っております。 また、時折雨月物語についてもふれていきたいと思います
第七十二話 雨傘屋の婆様
雨傘屋の婆様


むかしなぁ、仙台原ノ町に雨傘屋さんがあったんだと。そこの床の間には焼き物できたおばあさんがちょこんと置いてあったんだと。この焼き物で出来たおばあさんは不思議なおばあさんでなぁ、雨傘屋の小僧さんが傘を直そうとしたんだと。そしたら糸がこんがらがってしまってなぁ、んでもそんなときはあわてねぇで
「糸屋の婆さん、糸屋の婆さんこんがらがった糸といてけさい」
って三べんとなえっとなぁ、焼き物で出来たおばあさんがひょっこりとやってきて手伝ってくれるんだと。

ある日のこと、雨傘屋かさ泥棒が入ってなぁ、色んな傘を風呂敷さ包んで盗もうとしたんだと。そして、もうそろそろ逃げっぺってんで風呂敷をかつごうとするとなぁ、急に重くなって持ちあげることが出来なかったんだと。泥棒は不思議がってなぁ、少し荷物を減らしてはもう一度持ち上げたんだどもなぜか持ち上げることが出来なくてなぁ、あれこれしているうちに一番鳥が鳴いちまったもんだからあわてて逃げ出したんだと。泥棒が逃げたのを見届けるとなぁ、風呂敷包みのなかから焼き物のおばあさんがひょこんとでてきたんだと。

また、ある日のこと、雨傘屋の末の娘が遊んでいたかと思うと急にいなくなってしまったんだと。家族やら店のもんが探しても見つけることが出来なくてなぁ、あれやこれやと探しているとひょっこりと末娘が帰ってきたんだと。どこさ言ったか聞いてみっとなぁ、
「婆様と一緒に町さいってきた」
ってニコニコしながら話したんだと。あわてて、床の間さいってみっと片隅のほうさ申し訳なさそうに小さくなっていたんだと。

そんなある日のことな、雨傘屋のお客さんが
「うちには床の間に焼き物のじいさまがいるでがんす」
っていうとなぁ、その日のうちに婆様の焼き物はいなくなってなぁ、近所のお客さんの床の間にあるおじいさんの焼き物の隣に並んでいたんだと。何回元の場所に戻してもすぐにおじいさんの隣さいくもんでなぁ、ついには雨傘屋もあきらめてしまったんだと。


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【2006/05/18 21:17】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第六十九話 いいわけの楓
いいわけの楓


仙台の花見の名所といえば青葉城近くの西公園、小高い丘にある三神峰公園なんぞがあるんだども、仙台駅のすぐ東側に榴ヶ岡公園があってなぁ。ここにゃあ四代藩主の綱村公が母の供養にと釈迦堂を建立して誰でもくつろげるように京都から千本のしだれ桜を植えたんだと。これはそんときのお話でなぁ

むかしあったんだと、榴ヶ岡に綱村公の命令で桜を植えていたんだと。そんなかの足軽の一人がなぁ、あんまりにも桜が珍しいもんだからついついほしくなってっしまってなぁ、一本だけこっそりと持ち帰ってしまったんだと。

ある日のこと、検分役のお役人さんがやってきてなぁ、
「植えた桜を検分するので立ち会え」
って言ったもんでなぁ、足軽はびっくりしてしまったんだと。こりゃあどうすんべと思ってなぁ、近くさあった楓の木を一本とってきて変わりに埋めてしまったんだと。

いよいよお役人さんがやってきて一本一本検分し始めてなぁ、九百九十九本まで数えたんだと。そしたらここまでの桜はみんな平地に植えているのに一本だけ土手の上にあったもんでなぁ、これはどうしたことか足軽に聞いたんだと。そしたら
「高いところの見あげ桜でございます」
って言い訳したんだと。そしたらお役人は笑ってなぁ、
「そのほうの桜は見さげ桜だろう」
っていわれてしまってな、足軽は顔が青くなったんだと。んだども何もお咎めがなくてな、それからその楓をいいわけの楓と呼ぶようになったんだと。


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【2006/05/11 21:06】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第六十六話 美女と茶屋ばなし 比丘尼峠
比丘尼峠


平将門公が天慶の乱で敗れた話は知っているかのぅ。将門公の首が京都から今の将門首塚まで飛んでいったとか娘の滝夜叉姫が暴れまわったとかいう話が残されているんだのう。

将門公が敗れて将門一族が落人の身になってなぁ、その中に将門の妹さんがいたんだと。逃げる途中に長い黒髪を切り落とし尼となって遠くみちのくさ逃れることができてなぁ、燕沢っちゅうところさ庵を作りひっそりと暮らすことにしたんだと。
そして村人の薦めもあって塩釜街道を行き来する旅人のために茶屋を作ったんだと。
ためしに甘酒を作ると、その味が大変おいしくてなぁ、長い間茶屋の名物となったんだと。

尼さんの死後に尼さんをしたって茶屋に塚をたてて茶屋へ行き来する坂道を比丘尼坂と呼ぶようになったんだと。いまでは甘酒を飲むことはできねぇけども坂は残っているんだとさ。


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【2006/05/01 20:44】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第六十話 八ツ塚物語
八ツ塚


仙台駅の東側のほうさ八ツ塚っちゅうところがあってなぁ、それにはこんな由来があるんだと。

むかしなぁ、八ツ塚のあるあたりはそれはそれはでっかい沼があってなぁ、そこに大蛇がすんでいたんだと。大蛇は人を襲ってばかりいたもんだからなぁ、村人は困りはててしまったんだと。

そしたらその話を聞いた山伏がおってなぁ、どうにかして大蛇を退治できねぇもんかと考えてなぁ、まず一人じゃとてもかなわねぇから仲間の山伏を八人集めたんだと。そして刀で斬りかかるよりも八人で大蛇に呪いをかけて退治したほうがいいって話になってな、早速八人の山伏は沼の近くさ身をひそめたんだと。八人でいっせいに呪文を唱えはじめたんだと。そしたら大蛇はうんうん苦しみ始めたんてなぁ、ついには目を見開いてばたって死んでしまったんだと。んだども大蛇もただ呪い殺されるのはしゃくだと思ったのか大蛇も山伏さ毒気をあてられて八人の山伏もついに死んでしまったんだと。

村のもんは八人の山伏のためにそれぞれに塚を作ったんだと。それを八つ塚を作ったもんだから八ツ塚っていうようになったんだと。



んだどもこんな話も残っていてなぁ


むかしなぁ、子供達があっちゃこっちゃで遊んでいるときのこと、八人の子供がなぁ、火あぶりごっこをやろうとして一人をしばりつけて七人で囲んだんだと。そしてしばった子供のしたさわらやら葉やらを積み重ねて火までつけてしまったんだと。

すぐに消すつもりだったんだども縛られていた子供の着物さあっという間に火がついてなぁ、子供達が蒼くなっておどおどしているうちに縛られていた子供はあっというまに黒焦げになって死んでしまったんだと。
子供達は恐ろしくなってしまってなぁ、しかたねぇもんだから黒焦げになった遺体の上さ残っていたわらやら葉やらをかけて隠したんだと。

んだども夜になっても一人の子供が帰ってこねぇもんだからなぁ、村人総出で探すことになったんだと。そしたらわらの中さ黒焦げになった遺体が見つかってなぁ、一緒に遊んでいた子供達さ問い詰めたらことのしだいを話したんだと。

七人の親はびっくりしてしまってなぁ、なじょしたもんかって考えていると
「人様の子供を焼き殺して自分の子供を生かすのは申しわけねぇ。ここは心を鬼にして子供を道連れにするしかねぇ」
ってなぁ、悲痛な思いできめたんだと。それからすぐに一緒に遊んでいた七人の子供も殺してしまってなぁ、八人の子供の遺体を一緒に葬ってそこさ八体のお地蔵様を奉ったんだと。それからここを八ツ塚って呼ぶようになったんだと。



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【2006/04/14 22:48】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第十二話 猫よもやまばなしその3 裁松院の猫塚
「裁松院の猫塚」(遠野物語風)


この話は仙台に住む某青年より聞いたことなり。
裁松院にある猫塚には石の下腹部に猫の絵が描かれている。

その昔ある侍の家で飼っていた猫が隣の屋敷の殿様(姓名は墨で消されている)の鶏を食い殺したので、殿様は怒り鉄砲を持ち出して猫を打ち殺した。
侍は猫をかわいがっていたものの、文句をいおうにも相手が殿様なゆえに何も言い返すことができず泣き寝入りしてしまった。その猫を葬ったのが「猫塚」である。

(寺の者は多くを語りたがらなかったが、のちに猫の祟りで殿様の家は苦しめられた、と古い文献に記してあった。)



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【2005/12/02 16:25】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第九話 宮千代塚 その2
「宮千代塚 その2」


むかしなぁ、ある坊さんが修行の旅に出ていたんだと。宮城野にさしかかった時にのどがかわいてな、

「水をいっぱいけらい」

と家の中にいた老人に頼んだんだと。んだけども老人は坊さんのことをお構いなしに

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて」

と歌の上の句をなんどもなんども詠んでいたんだと。

また別の年に坊さんが老人の家に行くとやっぱり

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて」

とぶつぶつ歌を詠んでいたんだと。

坊さんは不審に思ったけんど、一通りの修行を終わらせて寺に戻り師に報告したんだと。そこで、宮城野の老人を師に話したところ

「あぁ、それはわしが若い頃にその老人に歌を教えたんじゃ。何度も上の句ばかり繰り返すところをみると下の句を忘れているな」

と、坊さんは師から下の句を聞いてまた修行の旅に出たんだと。
宮城野にさしかかった時に老人の家に立ち寄り

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて」

と老人が歌う後に続けて

「それこそそれよ 宮城野の原」

と下の句を読むと老人の姿はすぅーっ、と消えて白骨だけが残っていたんだと。老人の白骨を供養した塚が宮千代塚とよばれているんだとさ。



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【2005/11/22 17:35】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
第九話 宮千代塚 その1
「宮千代塚」


むかしなぁ、松島のある寺に宮千代というそれはそれは美しい顔立ちの少年がいたんだと。少年の名は宮千代といってな、たいへん歌を詠むのがうまかったんだと。
そんなもんだから、京にのぼって歌の修行をしたいと考えていたんだと。だけんども歌の師である上人に

「まだ、おめぇには早すぎる。もう少し待つがいいべ」

といってたしなめられていたんだと。
んだども宮千代は思いあまり、上人に内緒で松島を飛び出して京へ向かったんだと。

宮千代が京めざし歩いてくと、夜もふけた頃に宮城野原についたんだと。そうしたら、広い野原一面に咲く萩の花が月の光に照らされて、それはそれは宮千代の心を振るわせたんだと。
そこで宮千代は筆を取り


「月はつゆ 露は草葉に宿かりて」


と上の句を考えたものの下の句がどうしても出てこなかったんだと。まいにちまいにち宮城野原を眺めながら

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて…」

と下の句を考えているうちに、とうとう死んでしまったんだと。

里のもんは宮千代を哀れに思って塚を作って葬ったんだと。そうしら、毎晩毎晩

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて  うおーん…」

って、宮千代の亡霊が泣きながら歌を詠んでいたんだと。この噂を聞いた上人はある晩に宮城野原にやってきたんだと。そしたら宮千代の亡霊が

「月はつゆ 露は草葉に宿かりて  うおーん…」

と、うたうので上人はすかさず

「それこそそれよ 宮城野の原」

と、下の句を付け加えたんだと。そうしたら宮千代の亡霊は下の句に満足し、成仏したんだと。



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【2005/11/21 17:30】 | 民話(仙台市宮城野区) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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