「名取富士」
ある日のこと、南部、津軽、佐竹、伊達の殿様が江戸さあつまっていたんだと。 そしたら南部のお殿様が山自慢をはじめてなぁ 「私の国にある岩手山は南部富士とよばれ、わが国のどこからでも見ることが出来るでござる」 といったんだと。 そしたら津軽のお殿様が 「私の国にも岩木山という津軽富士がござる。津軽富士のてっぺんからは蝦夷の方まで見ることができるでござる」 といったんだと。 そこさ佐竹のお殿様が割りこんで、 「津軽富士は蝦夷までですか。わが藩の鳥海山は出羽富士とよび、蝦夷どころかオロシャまで眺めることが出来ますぞ」 と自慢したんだと。 そしたら伊達の殿様がいらしてな、静かにこう話されたんだと。 「私の国には伊達富士とよぶような蝦夷やオロシャまで眺めることが出来る山はござらんが城の西側におもしろい形をした山がござる。一晩でこの山はできたと伝えられてな、海のどこからでもみえるので漁師の目印になり、農民は山にかかる雲から農作業をしている話という話を聞いている。」 と、謙虚にお答えになったんだと。 この伊達のお殿様が話された山は太白山といってなぁ、名取の町の人は「名取富士」とよんで毎日の暮らしの目印としていたんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
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