奴踊り
むかしなぁ、津軽四代藩主の信政公が津軽一帯に田んぼ開くことにしたんだと。津軽っていっても広いもんだからなぁ部落ごとさ家来をつかわして田んぼ開くことにしたんだと。 津軽の嘉瀬あたりにつかわされたのは鳴海伝右衛門ちゅうお侍さんだったんだと。伝右衛門はまじめな性分でなぁ、百姓さんと一緒にくわを振るっては丁寧に丁寧に仕事をしてなぁ、折を見計らっては休みさして百姓さんらに茶ふるまったりしてたもんでなぁ、みんなから慕われていたんだと。 んだども他の部落で田んぼ開くお侍さんは朝から晩まで休み無しで働かせてなぁ、自分は何もしねえであれこれ命令するだけなんだと。仕事も面倒くさければ草かけて根っこを隠したりしてごまかしていたんだと。 そんなもんだから他のお侍さんたちは一年やそこらで終わらせて藩さ報告するんだども伝右衛門は丁寧に丁寧に、馬鹿丁寧に仕事をするもんでなかなかおわらねかったんだと。次の年さなっと羽織袴着て偉くなった同僚が伝右衛門のとこさ見回りにくるんだと。そして伝右衛門の姿を見ては 「おめぇはまだ仕事がおわらねぇのか」 ってあざ笑っていくんだと。これにゃあさすがの伝右衛門も落ち込んでしまってなぁ、それをみていた周りのもんは伝右衛門を慰めては田んぼを作っていったんだと。 ある年の秋のこと。かりいれが終わったもんだから伝右衛門は百姓たちを呼んで酒を振舞ったんだと。みんながのめやうたえやと騒いでいるんだどもなぁ、当の伝右衛門はさびしそうにしていたんだと。これを見ていた下男の徳助がなぁ、なんとかして伝右衛門を元気付けたいと思ってなぁ、もっていた奴のはんてんを身にまとい赤いきゃはんに豆絞りを頭にまくとなぁ、 サァーサ これから 嘉瀬の奴踊り 踊る サァーサ これから 奴踊り 踊る それ よやさかさっさ って大きな声で歌いながら中腰になり両手で大きく輪を描きながらすり足で踊ったんだと。これには周りのもんや伝右衛門もにこりと笑ったんだと。そしたら徳助はさらに続けて サァーサ 嘉瀬と金木の 間の川コ サァーサ 石コ 流れる 木の葉コ 沈む それ よやさかさっさ って歌ったんだと。これが嘉瀬の奴踊り(やっこおどり)のはじまりでなぁ、今でも踊り継がれているんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
弥三郎節
むかしなぁ、青森の下相野っちゅうところに弥三郎ちゅう百姓と母親が住んでいたんだと。弥三郎が年頃になっとなぁ、こりゃあ嫁もらわねばなんねえってんでなぁ、隣の大開から嫁っこをもらったんだと。 一つアエ 木造新田の下相野 村のはずれコの弥三郎ァ家 アリャ弥三郎ァエー 二つアエー 二人三人と人頼で 大開の万九郎から嫁貰た アリャ弥三郎ァエー 大開からなんとも器量がええ娘っこが長持やら嫁入り道具をもって弥三郎の家さ嫁いだんだと。んだども母親と嫁っこの気があわねえもんでなぁ、嫁っこは朝日が昇る前から起きて夜は皆が寝静まるまで働くんだども、やれ仕事がおせぇだのと嫌味ばかりいわれるんだと。 三つアエ 三つ物揃えでもらた嫁 もらてみたどご気に合わぬ コレモ弥三郎ァエー 四つアエー 夜草朝草かがねども おそぐ戻れば叱られる アリャ弥三郎ァエー んだども嫁っこが姑さ気に入られようと働けば働くほど、姑は嫁っこのあることないことあたりかまわず言いふらすんだと。それどころか嫁っこさ無理難題ふっかけるんだと。嫁っこは今まで以上に働かねばなんねえもんでなぁ、髪さつける油っこさえもつけさせねかったんだと。 五つアエ いびられはずがれにらめられ 日に三度も口つもる コレモ弥三郎ァエー 六つアエー 無理な親衆に使われで 十の指こから血こ流す アリャ弥三郎ァエー 七つアエ なんぼ稼いでも働いでも つける油こもつけさせね コレモ弥三郎ァエー 八つアエー 弥三郎家こばれ陽こ照るな 藻川の林こさも陽こてらね アリャ弥三郎ァエー 嫁っこは我慢に我慢を重ねたんだども、姑の嫁いびりはますますひどくなってなぁ、ついには嫁っこの長持ちや嫁入り道具を外さ投げ捨てると 「おめぇのような嫁なんかもういらねぇ!でてけぇ」 って怒鳴って嫁っこを追い出したんだと。嫁っこは長持ちの上さ座るといままでのことを思い出したのか泣き出してなぁ、搾り出すような声でこう歌ったんだと 九つアエー ここの親だちみな鬼だ こごさくる嫁みな馬鹿だ アリャ弥三郎ァエー まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
身代わり地蔵
むかしなぁ、弘前の紺屋町っちゅうところさ敦賀屋ちゅうお百姓さんが住んでいたんだと。敦賀屋はお地蔵様をたいそう信心していたんだと。 ある年のこと、まったく雨がふらねかったもんでなぁ、田植えしようにも水がねかったんだと。ほんのわずかな水は上流の田んぼにだけいきわたってな、下流の田んぼさ行きわたらねぇようになっていたんだと。 ある晩のこと、敦賀屋は意を決して闇夜にまぎれて上流のほうさ行ってみたんだと。 歩いてみっとすぐ近くの田んぼの水口がせき止められてなぁ、探し回んなくて見つけたもんでなぁ、これはお地蔵様のおかげだと心の中でつぶやいてさっそく水口を壊そうとしたんだと。そしたら不意に男が出てきて 「この水泥棒め!」 って敦賀屋の頭をげんこつで殴ったんだと。そしたら敦賀屋も負けじと 「おめぇも水泥棒でねぇか!」 って叫ぶとなぁ、男は頭に血が上って 「へりくついうんでねぇ!」 って言うやいなや、もっていた鍬で敦賀屋の頭を叩き割ったんだと。敦賀屋はばったと倒れて死んでしまってなぁ、男は殺すつもりがねかったもんだから怖くなって慌てて逃げてしまったんだと。 それからどれくらいの時間がたったんだべか、死んだはずの敦賀屋が目を覚ましたんだと。敦賀屋は、思い出したように頭さ手をやったんだども頭は切れていなけれたんこぶもでていなかったんだと。敦賀屋はふしぎに思いながらも家さ戻って、いつものようにお地蔵様さ手を合わせたんだと。そしたらなんだかお地蔵様の頭がおかしなかんじがしてなぁ、近づいてよくよく見てみっとお地蔵様の頭さ鍬で打ちつけた痕が残っていたんだと。これには敦賀屋びっくりしてなぁ 「おらの身代わりになってくれたんだべ、ありがたや」 ってなぁ、今まで以上にお地蔵様を深く信心したんだと。それからというもの敦賀屋はお地蔵様を新町の竜泉寺さおさめてなぁ、今でも毎年6月23日には身代わり地蔵の夜宮がおこなわれるんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
坊沢と目無川
むかしなぁ、川内町のあたりさ蛎崎氏(かまざき)ちゅう豪族が住んでいたんだと。 蛎崎氏は大陸とも交易してたもんだから、それはそれはにぎわっていたんだと。蛎崎氏の城下町のはずれにな、いつのころから知らねぇが目の見えねえ乞食が住んでいたんだと。ぼろぼろになった着物きているもんだから誰からともなく「ぼろぼ様」って呼ばれてなぁ。ぼろぼ様は背が六尺もあってとってもでっけえもんだから、昔はどこか戦場で戦っていたんじゃねえかっていわれたんだども、ぼろぼ様はまったく自分の昔ばなしをしなかったからなぁ、どんな人なのかさっぱりわかんねかった んだと。 ぼろぼ様は蛎崎の城下町でほどこし物をうけていたんだども、時には杖をたよりに近くさある車返しの宿ちゅうところさもでかけていたんだと。車返しの宿は蛎崎の城下町さ比べればくらべらんねぇほど貧しかったんだども、宿の人々は貧しいながらもぼろぼ様にはと快く恵んだんだと。 そしたらいつのころからか知らねえけどもぼろぼ様さめんこいわらしがついて歩いたんだと。名をお浜と言ってなぁ、お浜もまたぼろぼ様と一緒で目がみえねえもんで人々は哀れんでいままで以上にほどこし物を分け与えたんだと。 んだどもある日の境にお浜一人だけほどこし物もらいにやってくるようになってなぁそれから幾日もしねえうちに姿が見えなくなったんだと。実はぼろぼ様は病気にかかってしまってなぁ、お浜一人で歩いていたんだどもお浜が戻ってこねえもんだからぼろぼ様は病気にもかかわらずお浜を探しにいったんだと。そしたらぼろぼ様が沢さどさーって落ちてしまってなぁ、そこさ車返しの宿のもんが通りかかったもんだから急いでぼろぼ様を助けて手厚く看病したんだと。んだども看病のかいもなく ぼろぼ様は死んでしまったんだと。 車返しの宿の人々は蛎崎の城下町さ向かってぼろぼ様の引き取り手をさがしたんだと。んだども誰もいねかったもんでなぁ、車返しの宿のもんは相談して宿の外れさ葬ったんだと。 次の日のこと、車返しの宿のもんが蛎崎の城下町への道を歩いていたんだと。そしたら川さお浜の着物が浮かんでいたもんでなぁ、急いで人呼んで川をさらったんだどもお浜を見つけることはできねかったんだと。 「お浜はぼろぼ様さ魚でも食わせるために川へ行ったんだべ」 ってなぁ、宿のもんはお浜の着物をぼろぼ様の墓さ埋めたんだと。 なんともあわれなはなしでなぁ。そうそう、これにゃあ後日談があってなぁ この話を聞いた蛎崎のお殿様がなぁ 「このたびはわが城下のものが世話になった。救ってくれて看病してくれたことはありがたいことだ。それに比べわが城下のものの仕打ちには情けなく思う。しかっておくので許してほしい。ついてはぼろぼ様が落ちていた沢を坊沢、お浜がいなくなった川を目無川と名づけ車返しの宿のものさ与える」 ってお達しが届いたんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
鮭住まぬはなし
むかしなぁ、青森市の根井川には鮭がたくさんあがっていたんだと。村人みんなで取ってたもんでさばききれねぇぐれぇだったんだと。 そんなとこさ一人の坊さんが通りかかってなぁ、村人が坊さん見つけっと 「ほれ、この鮭やっから。もってけ」 っていうんだと。んだども坊さんはなぁ仏様さ使える身だからって断ったんだと。んだども村人は 「いいんだいいいんだ、捨てるぐれぇ鮭があるんだからもってけ」 って言ってなぁ、無理やり坊さんさ鮭あげたんだと。そしたら坊さんは 「そんなにいらねえぐれえの鮭ならこの川さ鮭がのぼらなくなりゃあいい」 ってぶつぶつつぶやくと川原の石をたもとさいれてどこかへいってしまったんだと。 それからというもの、根井川さ鮭がのぼんねくなったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
鮭住まぬはなし
昔の駒込川は橋がねかったもんでなぁ、ひとたび洪水がおきっと川渡れなくなってなぁ、人夫が川渡しをしていたんだと。ある日のこと、川さ急に魚がたくさんあがってなぁ、人夫らは仕事を忘れて魚を取りはじめたんだと。 そこさ、なんともみすぼらしい坊さんがやってきてなぁ、人夫さ川を渡してくれねぇか頼んだんだと。そしたら人夫は 「んならこのかご背負うなら渡してやってもよかんべ」 っていったんだと。坊さんは 「殺生に手を貸すことはできねぇ」 って断るんだども人夫はそれなら川を渡してやんねぇっていうんだと。しかたねぇもんだから坊さんは魚の入ったかごを背負って人夫さまたがって川渡ったんだと。向こう岸さつくとなぁ、坊さんはたもとから小石を三つ取り出して川に投げっと 「七代七流れ この川さ魚のぼらせねぇ」 ってぶつぶつ言い始めたんだと。それからというもの駒込川さ魚がのぼらねぇようになんたんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
鮭住まぬはなし
むかしなぁ、青森市を流れる堤川の上野方さ駒込川っちゅうとこがあるんだと。そこにはたくさんの鮭があがってくるもんでなぁ、村人はみんな鮭を取っていたんだと。 そしたらそこさ坊さんがやってきてなぁ、鮭がおいしそうに見えたもんで村人さ鮭もらえねえか頼んだんだと。そしたら村人は岸さ生えていた葦を折るとそれさ鮭通して坊さんさあげたんだと。 んだどもその後さ川辺の葦さ足引っかかってしまってなぁ、葦の茎が坊さんの目さ刺さってしまって目が見えなくなってしまったんだと。これには坊さんたいそう怒ってなぁ、 「これからはここには葦は生えるな、鮭ものぼるな」 ってぶつぶつ言ったんだと。そしたら駒込川さ鮭が登らねくなって、葦も生えなくなったんだと。その坊さんは弘法大師だったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |



