大根のお歳とり
むかしなぁ、ある山んなかさ身なりのみすぼらしいお坊さんがうんうんうなりながら歩いていたんだと。昨日の夜からずっと胸焼けがするもんでなぁ、どうにかなんねぇべかって考えていたんだと。 そしたら目の前さ川で大根を洗っている娘さんがいたんだと。生の大根を食べると胸焼けが直るってことを知っていてなぁ、お坊さんは娘さんのところさいって 「すまねぇが胸焼けがして困っているんじゃ、大根を一本恵んでくれないかのぅ」 っていったんだと。 んだども娘さんはなぁ、困った顔して 「恵んであげたいのはやまやまですが、家さ戻ったとき旦那様に数を確かめられるので一本ともさしあげるにはまいりません」 っていったんだと。この娘さんは里でも評判の心やさしい娘さんで断るのが心ぐるしくてもう一度大根の数を数えたんだと。んだども大根の数は変わらなくてなぁ、どうしたもんかと考えていたらお坊さんが 「ほれ、そこにある二股の大根は二本とかぞえたのかね」 っていうもんだからな、二股も一本と数えていた娘さんはよろこんで二股のうちの一本をお坊さんさわたしたんだと。 お坊さんはおいしそうにむしゃむしゃ食べてなぁ、すっかり胸焼けが直ったんだと。 「娘さんの田んぼの稲が良く実り、畑の大根が太くなるようにしてあげよう」 っていったあと、お坊さんはまた旅を続けたんだと。じつはこのお坊さんは大黒様だったんだと。 それからというものこのあたりじゃあ毎年旧暦の十月十日を「大根の歳とり」といってなあ、二股の大根を神前にそなえて 「大黒さん、大国産今年より来年はよい耳を聞かせて下さい」 っといいながらなぁ、升の中に煎り豆と小銭をいれて振りながら三度唱えるのが習わしにになっているんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
秋保と本砂金の領地争い
むかしなぁ、仙台を伊達のお殿様がおさめていたころ、仙台の西のほうさ秋保と本砂金(もといさご)っちゅうところがあってな、そこには二人のお殿様が住んでいたんだと。二人は隣同士ということもあって、互いが互いのことをきになってなぁ、争い事がたえなかったんだと。そんなかでも特に二人のお殿様が譲らなかったのはお互いの領地のことでなぁ、お互い少しでも多くの領地がほしいもんだから、あぁでもねぇ、こうでもねぇとけんかばかりしていたんだと。 それを聞いた伊達のお殿様がなぁ、 「それならば縁起の良い日を定め、その日に城を出てお互いがであったところを境にすればよい」 っていったんだと。 いよいよ領地を決める日になってなぁ、本砂金の殿様は 「秋保の殿様は牛に乗ってやってくるのだからあせることもあるまい」 ってゆっくりしたくをしていたんだと。そしたらあわてて家来がやってきてなぁ、 「申し上げます、秋保殿がすぐ近くまでやってきております」 っていったんだと。これには秋保の殿様もびっくりしてなぁ、したくをそこそこにいそいで馬に乗ったんだどもこのまま道を急いで走っても秋保の殿様より領地が取れねえもんでなぁ、そこで秋保の殿様は道からはずれて東のほうさぐるっと円を描くように本砂金のお殿様からみえねえように走ってなぁ、浜井場っちゅうところあたりさついたんだと。そしたら本砂金の殿様は大きな声だして 「秋保どのー、わしはさっきからここでまっておったぞー」 って叫んだんだと。本砂金のお殿様は確かにここまできたのに秋保の殿様が後ろにいるもんだから仕方なく秋保の殿様がいるところさいってな、そこを領地の境目とすることにしたんだと。いまでも秋保と川崎町の境目がここにあるんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
雪女(仙台市太白区)
むかしなぁ、伊達と最上が争っていて最上が負けてしまいたくさんの落ち武者がいたんだと。そんなかに権十と巳の助っちゅう二人の落ち武者がいてなぁ、雪ん中を歩いていっと遠くのほうさ明かりが見えてきたんだと。二人は明かりの方さ近づくとそこには一軒の家があってなぁ、これ幸いと戸をたたいたんだと。 「ごめんください、道に迷っているもんです。なにとぞ一夜の宿を」 っていうんだと。戸の横さある格子から顔を出したのは白雪のような肌をした女でなぁ、 「あいにく夫は留守にしており私一人でございます。食べ物もございませんので」 ていったんだと。んだども二人は頭下げて頼み込んでなぁ、それならばと女は二人を家ん中さいれたんだと。二人の前にわずかばかりの飯をだすとなぁ、二人は腹が へっていたのかあっというまに食ってなぁ、腹いっぱいになったら今までの疲れが出てきて二人ともすぐに寝てしまったんだと。 巳の助がなぁふと目を覚ますと、なにやら目の前で取っ組み合いをやっているようでなぁ、よくよく見てみると権十と女だったんだと。女は権十に襲われているみたいで抵抗していたんだと。そしたら女の足が権十の急所にでもあたったんか権十が痛がり出してなぁ、 「巳の助、おきろ!この女は雪女だ」 っていって急いで家から逃げ出したんだと。巳の助も権十の言葉に驚いて慌てて家から飛び出したんだと。後ろから女が 「こんな吹雪の時に外さでたらだめだぁ」 っていうんだと。そんなことを忘れて巳の助は権十の後を追ったんだども途中、足滑らせて崖からずるずるずるっと落ちてしまったんだと。 「あの女は本当に雪女だったんだべか。んにゃ、そんなはずはねぇ。権十があんなことをすっからいけねぇんだ」 って思いながらだんだん巳の助は意識がなくなって… まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
木流掘
むかしなぁ、政宗公が城をたてて仙台を色々と工事していたんだと。町中に家を作ったりしていたんだども、だんだん家を建てる木が少なくなったもんでなぁ、なにしろ近くの木はほとんど使ってしまったもんだから、遠くから木をもってこようとしたんだども、運ぶのにそれぇりゃあえらい手間ひまがかかるもんでなぁ、どうにかして簡単に運ぶ方法はないものかとまいにちまいにち考えていたんだと。 そんなある日政宗公の家来で川村孫兵衛っちゅうもんがなぁ 「町の近くにまで堀をほって木を流すというのはいかがでしょうか」 って進言したんだと。はた、と手を打ち政宗公は 「そうか、それならばその工事すべてをそなたにまかせる」 っていったんだと。 あくる日から孫兵衛は大勢の人足と一緒に山のほうから町のほうまでほりはじめたんだと。まいにちまいにちほってなぁ、ついに山から町のほうへ続く堀ができたんだども、まだまだ浅くしか掘っていねぇもんだからでっけぇ木を流すにはまだまだ掘らねばならなかったんだと。 そんなあるひ、政宗公が堀がどれだけほれたか見にいくことになってなぁ、まだまだ完成していねぇもんだから孫兵衛はあわててしまったんだと。ためしに水をいれてみるとなぁ、孫兵衛のひざぐらいしか水が流れなくて困っていたんだと。 そうこうしているうちに政宗公が堀さやってきてなぁ、色々と聞いたんだと。そしたら案の定 「孫兵衛、この堀の深さはどのくらいじゃ」 って聞くもんだからなぁ、孫兵衛はとっさに堀さ飛び込んで 「殿、深さはこのぐらいでございます」 って自分の背丈で深さを見せたんだと。政宗公が見てみっと水が孫兵衛のあごさくっつくかどうかぐらいに見えたもんでなぁ 「あっぱれじゃ、よくやった孫兵衛」 とほめて城さ帰ったんだと。 孫兵衛はなぁ、水さ飛び込んだときに水ん中であぐらをかいていたんだと。んだから政宗公は堀が深いようにみえたんだとさ。 後日、このことを政宗公は知ったんだども孫兵衛の知恵に感心してなぁんもおとがめはなかったんだと。 その後、堀は完成してなぁ遠くの山から切り倒した木を掘を使って仙台の町さ運んで行ったんだと。んだからこの堀を木流掘っていうんだと。 そして孫兵衛は町の開発や北上川の工事など工事の一切を任されるようになったんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
姉妹滝
むかしなぁ、今は温泉で有名な秋保にお萩とお光っちゅう姉妹がおったんだと。二人は幼いときに両親を亡くしたもんでな、伯父の家さひきとられたんだと。 んだども伯父はひでえもんでなぁ、朝おてんとさんがあがる前から夜、みなが寝静まるまで働かせていたんだと。 んだども、伯父の息子である作太郎だけは姉妹をかばってな、んだからまいにちまいにち我慢していたんだと。 そんなある日なぁ、伯父の家さ人買いがやってきたんだと。伯父はこれ幸いと作太郎の言葉もきかねぇでいやがる姉妹を人買いさ売ってしまったんだと。 人買いは姉妹を出羽さ売ろうとしてな、二口街道を歩いたんだと。途中で丁度いい木陰があったもんだから人買いはそこさごろんとなって一休みのつもりがな、ぐうぐう寝てしまったんだと。姉妹は人買いが寝たもんだから二人で山ん中さ逃げ出したんだと。 山をどれくらい歩いたことか、姉妹の後ろから走ってくる音が聞こえたもんだからな、こりゃあ人買いが探しにきたとおもってな、姉妹は急いで山ん中を掻き分けて奥へ奥へ逃げたんだども目の前にはでっかい沢があってな、逃げることが出来なくなってしまったんだと。んなもんだから姉妹は覚悟をきめて沢んなかさ身を投げてしまったんだと。 姉妹を追っかけていたのは作太郎でな、姉妹の入水を知った作太郎もあとをおって身を投げたんだと。 姉のお萩の遺体があがった滝を姉滝、妹の遺体があがった滝を妹滝、近くにあった巨大な石を男石と言ってな、夜な夜な三人の叫び声が聴こえるんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
穴薬師様
むかしなぁ、仙台の根岸っちゅう所に穴薬師様と呼ばれている薬師像があってなぁ、それにはこんな話が残っているんだと。 いつのころからかわかんねぇけんども、根岸の町にの人に親しまれている薬師様が奉られていてなぁ、薬師様の前を通るもんは誰であろうと必ず拝んでから通りすぎんだと。 ある日のこと、家来に馬引かせたおさむらいさんが根岸の町を通りすぎようとしたんだと。薬師様の前を通ろうとするとなぁ、 「ここは馬からおりて一礼をするべきです」 って家来のもんがいったんだどもなぁ、おさむらいさんはまったく聞く耳もたねぇで馬さ乗ったまま通りすぎようとしたんだと。そしたら馬が突然暴れだしてなぁ、おさむらいさんは馬からふりおとさって腰痛めたんだと。 おさむらいさんはたいそう怒ってなぁ、薬師様をお堂から出してしまって気の根元に埋めてしまって、そそくさと立ち去ってしまったんだと。それを見ていた村のもんはなぁ、 「薬師様のばちがあたったにちげぇねえ」 ってな、薬師様を掘り出して元のお堂に戻したんだと。 それからというものますます薬師様はあがめられるようになってなぁ、穴薬師様って呼ばれるようになったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
お六尺の勘兵衛さん
むかしなぁ、坪沼に勘兵衛さんっちゅうそれはそれは背が高く力持ちの男がいたんだと。 十五のころになぁ、近くにかけてあった丸太橋が流さったんだと。それはそれは大きな 橋でなぁ、大の大人が50人ぐれぇいなけりゃ岸にまで流さった橋を引き上げることが できねえほどだったんだと。みながおろおろみていっとなぁ、勘兵衛が一人で川ん中さ 入って丸太橋を力任せで、がぁー、って肩さかかえたかと思うとそのまま岸さあがって んだと。これには回りの村人もびっくりしてなぁ、この話が伊達家にも伝わって勘兵衛 さんは伊達家お抱えのかごかきになったんだと。 ある年のこと、伊達のお殿様が江戸さ行くことになってなぁ、もちろん勘兵衛さんもか ごかきとして何日も何日もかごをかいて江戸さいったんだと。江戸さついたら勘兵衛さ ん、あまりの人の多さにたまげてしまってなぁ、 「芋のごった煮なら知ってっけども、人間のごった煮ははじめてだべ」 ってなぁ。 んで、お殿様は江戸城の将軍様にごあいさつしなきゃなんねぇもんだからかごさのって 江戸城さ向かったんだと。江戸城の入り口である大手門の前さ行ってみっとなぁ、それ はそれは日本全国からのお殿様が将軍様さあいさつするためにごったがえしていたんだ と。とても伊達のお殿様のかごが通るとこなんてなくてなぁ、いつ江戸城さ入れっかわ かんねえもんだから、勘兵衛さんは伊達のお殿様が乗っているかごの底を一人で持ち上 げて 「仙台候のお通りだぁ、どいてけろ」 って大声で怒鳴ったかと思うとみながあっけに取られている間ゆうゆうとかご持ち上げ たまま江戸城さ入っていったんだと。このことが江戸中のうわさとなって 「勘兵衛さん、江戸さ出てきて相撲取りになったらよかんべ。きっといい横綱になるべ」 って誘わったんだと。んだども勘兵衛さんはその誘いをことわって大好きな坪沼で一生 をすごしたんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |


