鶏橋
仙台の八幡にはでっかい神社があってな、大崎八幡神社っていうんだどもそこさ町の人が熱心にお祈りしていたんだと。なんでも夜な夜な一匹の鶏がやってきてなでっけぇ声で鳴くんだと。鶏の宵鳴きは不吉なもんでな、なにか不吉なことがなければいいっとおがんでいたんだと。 ある夜のこと、いつものように八幡神社さおまいりに行くとな夜なのにあたり一面がまるで昼のように明るくなったんだと。驚いているとな、目の前さ金色の鶏がやってきて近くにあった絵馬ん中さ入っていったんだと。 町の人たちはこれが毎晩抜け出して鳴いていたんだな、ってでてこらんねぇように絵馬のまわりさ金網はって抜け出せねぇようにしたんだと。そしたらその夜は鶏がやってきて鳴くことはなくなったんだと。んだどもその晩おそくから黒い雲が出てきてな、わーって雨が降り出したんだと。雨は何日も降り続いてな近くの広瀬川から水があふれだすようになって家が何件も流されたんだと。 「あれは八幡様のおつげだったんだなぁ」 って鶏がやってきた橋を鶏橋と、近くの沢を鶏沢と呼ぶようになったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
盗人松
むかしなぁ、盗人が一仕事終えてだぁれもいねえことを確認すると峠道にはえている一本の松の前で一休みしたんだと。ぷかーりたばこをすいながら今日の稼ぎを数えているとな、松にむかって 「俺が盗人だと言うことは誰にも言ってはわかんねぇぞ」 ってまさか松がしゃべるわけあんめいとおもったから何気なくしゃべったんだと。そしたらなぁ、 「おらはしゃべんねぇけど、おめぇがしゃべらねぇようにしろ」 って松の木がしゃべったんだと。これには盗人もびっくりしてなぁ、珍しいもんを聞いたって不思議がりながら帰っていったんだと。 それからどれくらいの月日が流れたのかのぅ。ある日なにくわぬ顔して盗人が村の人との雑談にまじってなぁ、ある村のもんが 「狐は人間を化かすからしゃべることができっけども木や草花はしゃべることができねぇだろ」 「いやいや、狐でさえもしゃべれっから木や草花もしゃべれっぺ」 って口論になっていたんだと。そしたらそれを聞いていた盗人は、 「俺が盗んだ帰りに松に俺が盗人だと言うことを誰にも言ってはわかんねぇぞ、っていったらちゃあんと松の木はしゃべって答えたぞ」 って口を滑らしたんだと。自分で盗人だと言ってしまったのに気がついてもあとの祭り、たちまち村人に抑えられてお役人に捕まってしまったんだと。 それからというものこの松を盗人松といわれてなぁ、大倉ちゅうところにはえていたんだども今では刈り取られてなくなってしまったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
胸割阿弥陀
むかしなぁ、充国寺のえらい和尚さんが京都から仙台の寺さ戻るときのことだったんだ と。木曽の山道を歩いてなぁ、帰りを急ぐあまりに夜になってもそのまま歩きつづけた んだと。そうしたら木の影から突然追いはぎがでてきてなぁ、金目のもんを置いていけ って脅したんだと。和尚さんはなぁ 「みぐるみをおいていってもいいが、そんなことをやっていると人間には業というもん があってな、おまえさんはいずれ地獄に落ちるぞ」 っていったんだと。そうしたら どーーーん って雷が近くの木に落ちてなぁ ばりばりばりばり、 って木が倒れだしてちょうど追いはぎのに向かって落ちたんだと。追いはぎは逃げるひ まもなくてなぁ、きに押しつぶされて死んでしまったんだと。 和尚さんは哀れに思いお経を唱えたんだどもな、数々の仏様をみてきた和尚さんでも死 んだ追いはぎの目があまりにも鋭えもんでなぁ、帰る途中も頭からはなれねぇもんで ずっとお経をとなえながらやっとこさ充国寺に戻ったんだと。 和尚さんが寺のおつとめをしているとな、檀家さんで子供が産まれたんでお祝いに檀家 さんの家に行ったんだと。どんなにかわいい子かと顔をのぞいてみるとな、赤子の目は 和尚さんを襲った追いはぎの鋭い目だったんだと。和尚さんはそれから来る日も来る日 も赤子の鋭い目を振り払うようにお経を唱えたんだども、生かしておいたら悪人になる と思ったのか乱心したのかわからねえが、とうとう赤ん坊を殺してしまったんだと。 いくら徳の高えお坊さんでも、罪のない赤ん坊を殺すのは重罪に値するもんでなぁ、結 局市中引き回しのうえはりつけになることになったんだと。 処刑される日、和尚さんは市中をひきまわされることになってなぁ、通る道には充国寺 の門前も加わっているのでお寺の小僧さんたちがご本尊を持ってまっていたんだと。し ばらくすっと、処刑場に向かう馬の上に乗せられた和尚さんが目の前を通ってなぁ、小 僧さんたちがわんわん泣いていると、持っていた阿弥陀様の胸がパチン、と音がしてさ けてしまったんだと。 阿弥陀様の胸を修理に何回もだしてみんだけどもなぁ、本堂に安置したとたんにパチン、 ってさけてしまうんだと。その阿弥陀様は「胸割阿弥陀」と呼ばれて今でも充国寺のご 本尊であるんだとさ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
孝行屋敷
むかしなぁ、富屋っちゅう味噌やしょうゆを売ってる店があってなぁ、そこの店の主の孫兵衛は小ちぇころからせっせと働いてなぁ、親を敬う事を決して忘れなかったんだと。 孫兵衛が出かけようとすっとなぁ、母親が呼び止めて 「今日は道が凍ってすべっから、草履を履いてけ」 って母親に言われてなぁ、そんならと草履を履いて出かけようとすると父親に呼び止められてな、 「帰りは道がぬかるんでいっから高下駄はいてけ」 ていうもんだからな、困った孫兵衛は右さ草履を左さ高下駄を履いて出かけていったんだと。 それから何年かたって父親が亡くなってなぁ、寺さ葬ったんだど。父親が亡くなっても孫兵衛は親孝行をかかさねぇでなぁ、父親は雷が嫌いなもんだから、雷がなると孫兵衛は急いで父親の墓さいってなぁ 「おらが側にいるから安心してけろぉ」 って自分がぬれるのもかまわねぇで墓に傘さして雷が通り過ぎるまでいたんだと。 そんなある日のこと、仙台のある家から火が出てなぁ、ちょうど春さきで風が強ぇもんだからあっという間に火は広がってなぁ、仙台の城下町はあっという間に焼けてしまったんだと。 んだども焼け野原の中に一軒だけぽつんと家が残っていてなぁ。その家こそ孫兵衛ん家だったんだと。 「孫兵衛の家の上さ雲があって雨が降ってただ」 「おらもみた、雲の上さお不動さまがいてなぁ」 「ありゃお不動様が親孝行の孫兵衛を助けたんだべ」 って、孫兵衛の親孝行が町中の噂になってたんど。それどころかお殿様の耳に入って親孝行のたまものだということで味噌やしょうゆのお抱えにしてもらうどころかお侍さんに取り立てられたんだってなぁ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
穴薬師
むかしなぁ、作並の山ん中にそれはそれは美しい娘が住んでいたんだと。それはそれは山ん中といえどもおっ父は自慢の娘でなぁ、その噂は遠く仙台やら最上やらに伝わっていたんだと。 んでなぁ、この娘の家には親兄弟の他にも年中はたらかねぇでぶらぶらしている叔父がいたんだと。叔父は娘が小さな頃からかわいがってなぁ、それが娘の成長とともに一人の女としてみるようになってなぁ、いつの日にか二人は愛し合うようになったんだと。 それでなぁ、意を決した叔父は娘のおっ父に 「娘と結婚させてけねぇか」 って頼んだんだと。それをきいたおっ父は、なんぼ二人が好いあっているっても叔父と姪なもんだからなぁ、二人のことを許そうとはしなかったんだと。んだども、二人はあきらめるどころかますます愛し合うようになってなぁ、おっ父は 「んだば、あの崖さ薬師様を奉る岩屋を掘ってけろ。そうしたら認めてやる」 って、できるわけねぇ難題を出したんだと。 叔父はいままでのはたらかねえのが嘘みたいになぁ、岩屋に命がけでへばりついてつるはしをふるってなぁ、季節が変わるのもわからねぇぐらい一心不乱にほっていたんだと。 そうして月日は流れ三年目になぁ、薬師様をおさめることができる穴を掘ることができたんだと。これにはおっ父も認めねぇわけにはいかなくてなぁ、二人ははれて夫婦になる事ができたんだと。二人は一緒に暮らしてなぁ、めでたいことに娘は叔父の子供を身ごもったんだと。二人は生まれてくる子供のことを考えてはまいにちまいにち仲むつまじく暮ら していたんだと。 んだどもなぁ、いざ出産となると難産でなぁ、悲しい事に母子ともに死んでしまったんだと。叔父はあまりの悲しみにまいにちまいにち泣いて暮らしていたんだと。んだどもなぁ、こんな悲しい事は自分ひとりで十分だってなぁ、それからというものまいにちまいにち薬師様へ行っては穴を掘りつづけてなぁ、七年の歳月をかけて前よりも立派な岩屋を掘ったんだと。掘り終えるとなぁ、安心したのか叔父も静かに息を引き取ったんだと。 それが作並の岩屋堂にある穴薬師様でなぁ、安産にご利益があるんだってなぁ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
ほととぎす塚
定義(じょうげ)さんを知っているかのう。仙台から車で1時間ぐらいにある寺なんだども、源平の戦いで負けてしまった平貞能(さだよし)が仙台に落ち延びてきた時に平氏一門の冥福を祈るために庵を作る事にしたんだと。んだども、平氏っつうことでおおぴらに名前をつける事ができねぇから貞能をじょうげと読みかえたことが始まりなんだと。 そんな貞能が仙台の新川というところに落ち延びてなぁ、そろそろここの生活にもなれてきたというころにある山伏の一行と身重の女性がやってきてなぁ、貞能に一夜の宿を借りようとしたんだと。そうしたら顔を合わせておたがいびっくり、その山伏の一行はかつての敵頭であった義経たちだったんだと。んだどもかつての敵とはいえども、いまはお互い 落人の身、ましてや身重の義経の奥方がいるっつうもんだから貞能はすっかり同情して、宿を貸したんだと。 翌日、義経の奥方は身重のためこれ以上歩けねぇということでなぁ、貞能のすすめもあって、ここで出産してから平泉へ行く事にしたんだと。義経の一行はなんどもなんども貞能に礼をのべて平泉に向かったんだと。そうして、義経の奥方は出産したんだども、産後の肥立ちが悪いせいか長旅の疲れか、とうとう亡くなってしまったんだと。 貞能は哀れに思ってなぁ、ねんごろに葬ったんだと。義経の奥方を葬った塚を、我が子を育てたいのに育てる事ができず、他人の親が育てるっつうほととぎすの習性から「ほととぎす塚」と呼ぶようになったんだと。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |
いろはきつね
高松狐も有名だども、高松の近くの小田原というところにな、いろは狐というこれまた人を化かすのがうまい狐がいたんだと。仙台にある東照宮を建立していたんだと。んだども御神体が日光の東照宮から先にやってきてな。ちょうど桜の木と大きな石があったもんだから、そこに仮にお宮を作って御神体をお奉りしたんだと。 その頃になぁ、若ぇ女に化けて「いろは」と染め抜かれた着物を着て「いろは」とかかれた提灯をもってな、色仕掛けで化かしていたんだと。いろは狐は色仕掛けの他にも石に化けるのが得意でな。都合の悪い時は石に化けてやり過ごしたんだと。んだども、なーんもしらねぇでその石に座るといろは狐の神通力で泥ん中に落ちたり道に迷ったりしたんだと。そんなもんだから誰もこの道を通らなくなくなったんだと。 その話を聞いた菊池治助というというお侍さんがな、これじゃあいけねぇ、てんで退治することになったんだと。雨の降る夜に治助さんがお仮の宮へ行ったんだと。 そうしたらお仮の宮には提灯を持っている若ぇ女が手招きしたんだと。治助は動かねェでじっとしていると突然女の手が治助に向かって、にゅー、っと伸びたんだと。治助さんはその手を刀で気合もろとも斬ってしまってしまったんだと。手だけでなく何かを斬った手ごたえがあったんだと。んなもんだから明るくなってからお仮の宮に行ってみるとお仮の宮の桜の木の下にひとつ黒い刀傷がついた石があったんだと。このことがあってからいろは狐は姿を消してしまったんだと。んなもんだから、あの石に化けたまま戻らなくなったんじゃねぇかってなぁ。 まんが日本昔ばなしの本をお探しの方はこちら ![]() |



